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嘘みたいな本当の話 [ チェコ ? プラハ ]

 

世界遺産の街・プラハ

チェコの首都・プラハは歴史的にも価値のある中世の街並みが残された人気の観光地です。世界遺産にも登録されているプラハの旧市街地。ヨーロッパの大きな都市では第二次世界大戦中に大規模な絨毯爆撃などにあい、多くの建造物が壊されてしまいました。しかし、幸運にもプラハは、郊外の工業地帯を空爆された以外では大きな爆撃を避けられたため、現在も美しい景色が保たれているのです。

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大戦中、まさかの誤爆!?

そんなプラハですが、実は市街地も何度か爆撃を受けています。その内の一つは米軍からの攻撃ですが、なんと理由は「誤爆」。ドイツの都市・ドレスデンを爆撃する任務を受けた米軍の兵士が、地図を頼りに目的地に向かっていたところ、プラハの上空を通りかかりました。当時はGPSなども無かったので正確な位置がわからなかったのでしょう。大きな街が見えてきたから、多分この辺だろうと思い誤って爆弾を投下してしまったそうです。この誤爆に関しては後ほど謝罪があったそうですが、「建物が壊れただけで誰も死んでいないから気にしない」と返したんだとか。

 

 

誤爆地の現在

誤爆された場所は、その後長い間更地として放置されていましたが、1996年に大変個性的なビルが建築されることとなりました。それがこの「ダンシング・ハウス」です。チェコの建築家ウラジミール・ミルニッチとアメリカの建築家フランク・ゲーリーによって設計されました。男女がダンスをしているように見えませんか?昔の有名なミュージカル映画のダンサーコンビをもじって「ジンジャー&フレッド」とも呼ばれています。正式な名称は「ナショナル・ネーデルランデン・ビル」というそうです。

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かつてのエッフェル塔のように、このビルも当初は景観にそぐわないという理由で多くの人から否定的な意見が出されていましたが、現在ではプラハの新しい観光名所となっています。

ビルの中はギャラリーやブックショップとして利用されています。ダンシング・ハウスの歴史も紹介されています。最上階にはフレンチのレストランも併設されていますよ。

 

 

市街地の爆撃跡

この他にも、数少ない市街地での爆撃後を見ることができます。ドイツ軍からプラハを解放するために、ソ連が中心となった赤軍が侵攻してきました。1945年5月6日から11日までに起こったこの戦いは、後に「プラハの戦い」と呼ばれるようになります。この時の攻防によって、旧市庁舎(有名な天文時計のある建物です)が被害を受けました。これが、その爆撃跡です。

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この戦いの結果、5月8日にはドイツが降伏し、チェコは解放されることとなりました。現在でも、5月8日はチェコの戦勝記念日として祝日となっています。

通常、戦勝国は相手の国から賠償金を貰い、壊された建物を修復するのですが、チェコの人々は「勇敢に戦って独立を成し遂げた勲章」として壊されたままの状態で保存しているのだとか。

プラハが空爆を逃れた理由は、大戦当時のチェコの処世術のおかげだと言われています。チェコは優秀な工業力を持っていたため、他国からすると魅力のある国でした。大戦中はドイツの支配下に置かれていましたが、上手く立ちまわっており、大戦後は社会主義国の優等生として存在してきました。極力敵を作らない方法を取ってきたのですね。そのおかげで、世界に誇れる観光資源である美しい街並みを保つことができました。プラハにお越しの際は、大戦を生き抜いた街並みを存分に満喫してください。

 

ダンシング・ハウス
【 住 所 】 Jiraskovo nam?sti 1981/6, 120 00 Praha 2
【 アクセス 】 地下鉄B線 カルロヴォ・ナームニェスティー( Karlovo nam?sti )から徒歩5分 または トラム14番・17番 イラースコヴォ・ナームニェスティー( Jiraskovo nam?sti )から徒歩1分

 

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