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【祝日・記念日・年中行事】チェコの祝日「ヤン・フスを偲ぶ日」【チェコ】

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日本では海の日や山の日、みどりの日のように、自然に感謝する祝日がいくつもあります。万物に神が宿り、自然を崇拝の対象と考えている日本ならではの祝日ですね。一方、チェコではそのような自然に関する祝日はありません。しかし、いかにもチェコらしい祝日が存在します。それは7月6日の「ヤン・フスを偲ぶ日」です。

 

ヤン・フスとはどんな人物か

プラハの観光名所の一つである旧市街広場。そこに一際存在感を漂わせている大きな像があります。ヤン・フスの像です。
ヤン・フスはチェコの思想家で、プラハカレル大学(日本で言うと東京大学のような大学です)の学長もしていました。
ヤン・フスは、当時ラテン語では話されるのが一般的だったキリスト教の説教を、チェコ人向けに易しいチェコ語で書かれた説教書を作り教えを広めました。また、易しい表現でプラハの街角で説教もしていたため、民衆からは分かりやすいと絶大な支持を得ていました。チェコ語の説教書は後にチェコ語の正字法(正しいとされる字の綴り方)となりました。特に特殊記号のハーチェクč, š, ž, ř, ěなどを導入したことがポイントです。 これは現代チェコ語の礎を築くこととなりました。
ヤン・フスは元々は田舎の貧しい農民の子でしたが、とても頭が良かったので当時の司祭が後押しし、大学へ進学することとなりました。大学では神学を学びました。ヤン・フスは聖職者の落ち着いた穏やかな生活に憧れを持っていたそうです。卒業後は大学教授の傍らキリスト教を広める活動をしていました。
 

ヤン・フスの信念

編集_s-DSC03015宗教改革といえばマルティン・ルターが有名ですが、ヤン・フスはルターより100年以上前に宗教改革を起こそうとしました。免罪符の売買などで財を成し思うがままに権力をふるう腐敗したカトリック教会を批判し、聖書に基づいた正しい宗教観に戻したいと考えていました。
また、個人主義を主張しました。教会の言いなりになるのではなく、自分で考え信念を持って行動して、より神の教えに近づくことを諭しました。
これは民族啓蒙にも繋がりました。当時の誘致政策のために幅を利かせていたドイツ系住民に対する不満が高まる中、チェコ人であることに誇りを持つべきであると民族意識を高揚させていったのです。
元々が貧しい農民の出身であるヤン・フスの説教は、搾取されるばかりであった貧困層の人々に広く支持されました。これに教会を疎ましく思っていた地方貴族などがスポンサーとなり、フス派と呼ばれる一大勢力が生まれることとなりました。
当然これはカトリック教会からすれば目の上のたんこぶでしかありません。首謀者であるヤン・フスを異端者扱いして葬り去りたいと思われるようになりました。

 

ヤン・フスの死
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ドイツ・コンスタンツでの公会議に呼び出されたヤン・フスは、身の安全を保証するという約束のもと、自身の公正さを示すために会議へ赴きますが、だまし討にあい逮捕されてしまいます。
教会からはこれまでの発言を撤回し、今後宗教活動を行わず、自身を異端者であると認めれば助けてやると言われましたが、ヤン・フスは最後まで認めませんでした。
1415年7月6日、ヤン・フスは火あぶりの刑に処されました。
もちろんフス派の人々が大激怒。これをきっかけにフス派とカトリック・神聖ローマ帝国との宗教戦争が始まりました。
このようにして7月6日はチェコの祝日「ヤン・フスを偲ぶ日」と制定されました。
編集_s-DSC03014ヤン・フスの最後の言葉は「真実は勝つ(Pravda vítězí)」であったと言われています。この言葉は長く外国に支配し続けられてきたチェコ人の心の拠り所となる言葉となりました。今でもチェコの国の標語として親しまれています。旧市街広場のヤン・フス像の土台にも「真実」という言葉を見ることができます。
Milujte se, pravdy každému přejte, (愛し合いなさい、誰もが真実を望みなさい。)と書かれています。
この大きなヤン・フス像も、静かにチェコの人々の「真実」を見つめているのかもしれません。

 

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