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フランスとドイツの間を行き来したアルザスの「歴史」 ‐ナッツヴァイラー収容所‐

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現在のアルザスを知らなくても、「アルザス・ロレーヌ」という単語は歴史の授業で一度は耳にしたことがあると思います。遥か昔から、アルザス地方はドイツとフランスが領有権を奪い合ってきました。ざっと確認しただけでも、6度も独仏間を行き来しているのです。

一番大きな影を落としたのは、19世紀末から第二次世界大戦終了までの75年間で、その間にアルザス人の国籍は4度変更になりました。普仏戦争後の1871年、アルザスはドイツ帝国領となります。有名なドーデ作「最後の授業」の舞台となった時代です。その後第一次世界大戦に突入しますが、かつてのフランス人はドイツ軍に動員されました。拒否して内地へ引越しフランス軍へ加わる者も多数いたので、一家の兄弟同士が敵味方に分かれて戦うこともありました。結果、アルザス人はドイツ、フランス両軍から信用されず、激戦地へ送られる悲劇となります。

戦後、アルザス独立の動きもありましたが、結局は再びフランス領になりました。そして、1940年に再びドイツに占領されます。これに対して、アルザス人が100%否定的であったかというと、そうとは言えませんでした。このとき、ナチスはアルザス地方のゲルマン化を目指し、地名や名前をドイツ風に変更させます。フランス領であったとはいえ、もともとがゲルマンに根ざした文化だけに、それを受け入れる土壌は少なからず存在しました。また、フランス政府によるフランス語強要で、自分達の言語であるアルザス語(ドイツ語の一方言)はないがしろにされたうえ、二流市民扱いされているという憤怒もありました。さらに、経済活動の活性化という面でナチスの政策は魅力的でした。一方で、ナチスに反対の者、支配をされるということに反対の独立主義者なども多数存在し、抵抗運動は盛んに行われました。

第二次世界大戦中アルザスの若者達はドイツ軍に強制編入されました。17、18歳の新兵も、第一次大戦時の歴史を繰り返すかのように、激戦区だった東部戦線の最先端に送られたのです。ドイツとしてはアルザス人はフランス語を話すのでスパイかもしれないと、信用できないということもあったのでしょう。多くが戦死、行方不明になり、戦後何年もシベリアに抑留されました。まるで捨て駒のような扱いでした。それでも若者が参加したのは、ドイツ軍に加わらなかった場合は、非国民として家族も収容所へ送られたからです。

シュトラスブールの南、広々としたワイン畑を通ってボージュ山脈へ入って行った所にあるナッツヴァイラー強制収容所には、このような「非協力的」なアルザス人をはじめとしたフランス人やその他の占領地のレジスタンス(反ナチス活動を展開した人々)やソ連軍の捕虜が収容されていました。近くの炭鉱や工場での強制労働、人体実験も繰り返し行われています。

第二次世界大戦終結し、アルザスはドイツから解放され再びフランスに戻ります。しかし、フランスの他の地域に比べて倍以上の犠牲を出したにも関わらず、占領されていた歴史の結果として約4万5千人のアルザス人が対独協力容疑で収容されました。

建築物や食生活などに見るアルザスの独特な生活文化は、この地方の文化の二重性がもたらした貴重な財産であると同時に、歴史的困難をもたらした要因でもあったわけです。

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