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はまったらやめられない 放浪の旅が私の人生を大きく変えた [ フランス ]

 

放浪の旅をはじめたきっかけ

DH000083_1こちらはハンガリーのブタペストで見つけた独創的な芸術。私が、放浪の旅に出た時もこんな心境?でした。英語が大の苦手な私。しかも、小学生の時に始めて見た透き通るように白い肌の白人に鳥肌が立ったほど色黒に日焼けした人が好きな私。正直ストーカーにつかれなければ、放浪の旅なんかにでることはなかったでしょう。人生って不思議ですよね。今でも幼稚園生なみの英語しか話せない私が、パパに似て金髪、色白の日仏ハ-フの娘を持ち、フランスに在住するようになるなんて・・・。

きっとこれから放浪の旅にでる皆さんも、それぞれに強い意志と目的を持って旅に出るのでしょう。はたまた、忙しい毎日に疲れ果て自分探しの旅にでるのでしょうか?「旅は人生」と謳歌する欧米人のように、旅先で素敵な体験をして貴方の人生に潤いを与えてくれることでしょう。

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放浪の旅の最初のスタイル

エギュイユ・ディ・ミディに掛かる橋。こんな場所にどうやって橋をかけたのでしょうか?まさに人生は綱渡り。放浪の旅の途中にも、様々なハプニングも待っているかも?

私が放浪を始めた当時は、正直人間不信に陥っていました。ストーカーから身を守って欲しいと何度も警察に助けを求めては、スポーツインストラクターをしていたことを理由に自業自得だと助けを拒否され、転職と引越しを余儀なく行わなければならない日々。納得がいかなくて裁判所や市役所など端から訪れても、警察に助けを求めた証拠もないしと言われ、逃げるように飛び出した日本。ユースではなく安宿を見つけては一人部屋に泊まり、レストランで食事をしていました。しかし、街中で目にするカップルなどを見ると人恋しくなりますよね。そこで滞在先をユースに変更。しかし、最初は部屋にこもりレストランに食べに行っていました。

 

運命の出遭い

DH000008_1放浪の旅を始めて2ヶ月くらいたった頃。パリから憧れの世界遺産カルカッソンヌに向かう電車内で、ユースに電話しました。たどたどしい英語で何とか深夜着くけど、私の分のベットを確保して欲しいとお願いしました。

深夜駅に着くと、通りには人も通っていません。開いていたバーでユースへの道を確認すると、親切に地図までくれました。更に街中で再度道を確認した人が、ユースの近くまで車で送ってくれました。そしてユースに到着すると、セバスチャンが満面の笑みで迎えてくれ、部屋まで荷物を運んでくれました。そして、「良かったら他の旅行者たちと宴会しているから参加しない?」と誘ってくれました。久々に人々の優しさに触れ、思い切って皆の輪の中に参加。暖炉とセバスチャンを囲んで、世界中の旅行者がワインを飲みながら談笑していました。皆私に絵を描いたり、ジェスチャーをしながら分かりやすいように説明してくれます。なんだか、放浪の旅に出る前に住んでいた外人ハウスでの生活を思い出しました。セバスチャンとの出逢いが、私の人生を大きく変えるなんて・・・。ちなみにセバスチャンは、娘の父親ではなく私のスポ-ツ仲間、飲み仲間です。セバスチャンは老若男女問わず大人気。彼の人柄に触れて、何日も長居する人が続発するほど人を楽しませる才能にたけている人です。

 

出逢いが主の旅のスタイル

DH000058_1翌朝、私は大きめの包丁を買い、おしょうゆにお味噌を買いユースのキッチンで久々に日本食を作ることにしました。外人ハウスで、英語もろくに話せなかった私が話せる日本人たちよりも外国人の友人ができたのは日本料理のおかげだからです。私が料理を作り出すと、皆興味深そうに声を掛けてきます。そこで、「一緒に作って、一緒に食べよう。」と言い、料理教室の開催。うどんを麺から打ったり、餃子も皮から作るのであっという間に人だかりができ、一晩で30人前、40人前は当たり前。多い時には100人前、120人前を1日で料理したこともあります。そして、世界中の旅行者やユースのスタッフを囲んで皆で朝までドンチャン騒ぎ。

 

旅は道連れ ユ-スで出遭った旅行者と旅を共にする

一番最初に知らない人たちと一緒に旅を共にしたのも、カルカッソンヌのユースでセバスチャンを囲んで一緒に馬鹿騒ぎした人たちです。アメリカ人の男の子、オーストラリア人の女の子と3人でスペイン国境の近く、ペルピニャンへ。そこのユースで知り合った韓国人の男の子も含め、4人でマチスが愛した港町コリウールへ日帰り旅行。更にユースで知り合ったポーランド人の男の子を含め、5人でアンドラ公国に行くはずでした。韓国人の男の子が「レンタカーを借りてくるから待っていて。」と言うので、待つこと半日。しかし、彼は現れず4人で電車でアンドラ公国を目指しました。しかし、アンドラに行く手前で最終便が終わってしまい、皆のガイドブックには記載されていない小さな村で真夜中にホテル探しをする羽目に。歩いてスペインへの国境を越え、何とか宿を見つけ男女4人でひとつの部屋をシェアする羽目に。その後アンドラでも4人で部屋をシェアし、お酒を大量に買い込み朝までドンちゃん騒ぎ。バルセロナまで1週間以上旅を共にしました。もちろんメールアドレスも交換。私達は、それぞれの目的地に去っていきました。

 

出遭った人との再会をするために始まった旅

DH000005_1左側、ポーランド人の彼は基本的にヒッチハイクで旅をしているそう。私達と別れてからは、やはりヒッチハイクで旅を続け、その後気に入ったオランダに長期滞在することに。カメラを持っていなかった彼は、私達との旅が一番楽しかったとメールをくれ、私は彼に写真を送りました。

真ん中オーストラリア人の彼女は、トゥールーズ大学でフランス語を専攻し、メルボルンに帰りました。

そして右側、アメリカ人の彼とはクリスマスにも南フランスのニームで再会。一緒にパーティーを楽しみ、一緒にモロッコに行かないか誘われました。しかし、パリの友人と新年パーティーをする予定があったため断りました。何と、彼はモロッコのホテルで荷物を全て盗まれてしまったそう。その後も旅を続け、パリに数ヶ月滞在していた彼。チェコを旅行中、パリに来ないかとメールを貰い、彼に再会するためにパリに戻り、お互いの旅の話に華が咲きました。

今までは建築様式、教会、壁絵、世界遺産、芸術作品、風景などありとあらゆるものを写真にとりまくっていた私ですが、自然と出遭った人たちの写真が多くなっていきました。

こんな風に、旅先で出遭った人たちに誘われて、その人の住む町を訪れることがいつのまにか私の旅のスタイルになっていました。

 

ユーロライン 二週間 バスの中で過ごす ハード過ぎる旅の決行

DH000136_1放浪の旅も長くなると、出費も重なります。そして英語はあいかわらず上達しないけど、相手が言っていることは大抵理解できるようになってきました。そこでありあまる体力を駆使して、貧乏旅行を決行。ユーロラインのバス2週間パスを購入し、夜はバスの中で過ごし何ヶ国まわれるか挑戦すること2回。一番最初の目的地のみ事前予約することが可能でした。後は、着いた都市のオフィスで空きがあれば乗車可能なパスでした。早朝目的地に着くと、即オフィスを目指しその日の夜他の国に行くバスを予約。鉄道駅構内のシャワーを浴び、荷物をロッカーにしまいバスの時間まで町を見学しました。さすがに座りながら寝るので、シャワーだけでは疲れが取れず、中一日くらいユースに滞在することもありました。着いた都市のオフィスでその日の夜の便を予約する際、行き先の都市がその国の言葉で書かれており、いったい何処なのか分からず予約したことも。現地についてから、「ここは何処?」なんて聞いてびっくりされたこともありました。ポーランドの第二の都市クラコフ。こんな旅をしなければ、訪れることもなかったかもしれません。ポーランド人は親日家で、ポーランド語も少し覚えることができました。もちろんバスの中でも他の旅行者に積極的に話しかけ、目的地を一緒に観光したこともしばしばあります。気がついたら15ヶ国語くらい少しずつ話せるようになっていました。

 

運命の出遭い その2

DH000041_1サンマロのユースで知り合ったマリンスポーツインストラクターのピエール。元スポーツインストラクターの私とは大変気が合い、その後も頻繁にメールや電話を頂きました。そして彼に再会するために始まったブルターニュの旅。彼の住む島は地図にもなく、名前を言われても何処にあるのかも分からず、とりあえずブルターニュ人なら誰か知っているだろうとはじめた旅。彼の住む島まで行く前に、大勢の出逢いがあり彼女たちに誘われるがまま数日滞在したりして、結局誘われてから一ヶ月後くらいに彼の住む島に到着。彼の仕事場に数週間滞在させて頂いた後、彼の勧めでおじいちゃんの住む半島の反対側の島を訪れることに。

ピエールとの出逢いが、山育ちの私にとって海辺の町の生活を体験することになりました。それまでの私は、旅に出る前にガイドブックを端から暗記してシュミレーションし、如何に効率よくまわれるかきっちりと時間割を作って旅に出ていました。しかし放浪するうち、そんな感覚が全て失せてしまいました。

 

運命の出遭い その3

DH000067_1キブロンのユースのオーナーをしていた私のギヨームと私の大親友モニック。ユースに向かって歩いている途中、反対側から来たモニックが私を見てUターン。ユースまで案内してくれました。まだシーズン前で、ユースに泊まる人もわずか。ギヨームがマルシェに案内してくれ、昼食までおごってくれました。お礼に夕食は私が作ってご馳走すると約束。

食事を作ると、ユースの二階にある彼のアパートで食べようと言う話になりました。しかし、ワインボトルにキャンドルをいれ火をともし、「うーん ロマンティック。」と言った彼。即他の旅行者を誘い、3人で食べることにした私に不満そうな彼。食事後、私達を花火大会に誘ってくれた彼。しかし、花火の音に驚いたモニックがパニック状態に陥り、走って逃げてしまいました。夜中中モニックを探していた私。翌朝ユースに帰ると、既にモニックは帰宅済みでした。その日からモニックが私にべったり。他の都市に発とうとバスに乗れば、ついてきてしまいます。連れて行くわけにはいかないので、バスを降りる羽目に。その後何とか脱出し、ハンガリーなどを旅行していた私。モニックと夏をすごすためにギヨームにテントと寝袋を借り、毎晩他の旅行客とドンチャン騒ぎ。夜中がさがさと私のテントに夜這い者が来たかと思いきや、犯人はモニック。

この時に出遭った数多くの方々が私にユースで働いて欲しいと手紙を本部に書いてくれ、何と一生涯フランス中のユースをただで泊まれるという特権まで頂いてしまいました。フランス中のユースの責任者が集まるパーティーにも特別招待を受け、120人分の料理5品目を1人で作らせていただきました。

夏が過ぎると、一旦日本に帰国しましたがギヨームからの誘いで再び今度はフランスのスキー場に滞在することになりました。カナダ人とオランダ人の友人と3人でアパートをシェアした私。

毎朝ギヨームがアパートの扉を開けると、モニックは一目散に逃げ出し私を探しにきました。モニックは既に帰らぬ犬となってしまいましたが、私とギヨームは悪友関係続行中。

 

とても素敵なユ-スのスタッフ陣

DH000061_1彼ら以外にも、ユースのスタッフにはとても素敵な人がいます。彼らはお給料よりも、たくさんの人と出遭い語り合うのが大好き。残念ながら辞めてしまったブルターニュ地方のイル・ドゥ・グワのユースのオーナーをしていたゲイトン。このイル・ドゥ・グワのユースは、世界中から集まった有志が建てたユースです。このユースに着いたときに、まずゲイトンが一言。「シードルがいい?それとも他のアルコールがいい?」と旅行客に自腹でお酒を振舞っていました。毎日彼と一緒にスーパーに買出しに行き、彼が材料費を出して二人で食事を作り、他の旅行者と一緒に食事会を開きました。数日後、ゲイトンが一言。「明日満室だけど、良かったら僕のテントと寝袋を貸すからもう一泊して彼らに食事を用意してくれる?」。なんと100人分のブルターニュ人に皮からお手製の餃子を振舞うことにしました。その後、ブルターニュ各地を旅行している際、私のことを覚えている方が多く、お酒をおごってくれたり、旅行ガイドをしてくれたり、違う町まで送ってくれたりといたれりつくせり。ブルターニュ人のとても暖かい懐に触れて、次から次へとバトンタッチするようにガイドブックには掲載されていない町を訪れることになりました。

そして南フランスはニームのアンディ。彼のポケットにはウォッカのボトルが隠されており、ゲイトン同様世界中の旅行客を盛り上げてくれます。スキンヘッドで一見怖く見えてしまいますが、とても素朴で素敵な人柄に数多くの旅行者が楽しいひと時を過ごすことができます。

まだまだ紹介しきれないほど、ユースのスタッフには個性的で楽しい人がいっぱい。英語が話せないからと言ってレストランにばかり食べに行かないで、ユースのキッチンで日本食を作れば皆関心を持って話しかけてくるはずです。皆さんあまり馴染みのない日本の国の生の情報を知りたがっています。是非勇気を出して世界中の旅行客と語り合ってみませんか?

もしかしたら、貴方の人生を変えてしまう素敵な出逢いが待っているかもしれません。

ただし、一人旅の女性はお気をつけあれ。ユースのスタッフの男性軍、かなり一人旅の女性との一夜限りの関係を狙っている人が多いです。特にアジア系の女性と試してみたいと思っている人がどんなに多いことか。もちろん私のようにはっきり断れば、即次のターゲットを探してくれます。

ちなみに娘の父親も、出遭った当時ユースのスタッフをしていました。

娘はパパ譲りの金髪、透き通るように白い肌をしています。

彼に出遭う前に、旅で出遭った人たちにたくさんメッセージを書いていただいたノートが4冊分にもなりました。ちょうど4冊目の最後のページが娘の父親です。今では世界中に友人、知人がいる私。いつか娘を連れて、友人たちに再会する旅をしたいと思います。

 

子連れ放浪の旅開始

CIMG0066_1娘が出来、さすがに放浪の旅を続けることはできませんよね。と思いきや、さすがに二年以上放浪の旅を続けていた私。お腹の中にいる時から飛行機に乗っていた娘は、やはり私達に似て旅が大好き。生後9ヶ月でタイ、イタリア、フランス、日本の4ヶ国を知った娘。1歳の時には、7ヶ国語の歌を歌い始め、今は私の休みと娘の休みが重なればふらりとプチ放浪の旅に出掛けています。

英語が話せない当初は、ガイド付きの豪華なツア-に参加。5つ星ホテルにも滞在し、名のあるレストランで食事も食べていました。しかし、自分の普段の生活とは異なり、どうも居心地が悪い私。やはり、ユースに泊まって世界中からの旅行者と語り合うのが私にとっては一番心に残る旅のスタイルです。

ちなみに、お金持ちの方が皆さん豪華なホテルに泊まるとは限りません。ある時アヌシ-のユ-スで知り合ったイタリア人のおじいちゃん。私が料理するところをとても興味深く見ていたので、出来た料理を差し出しました。その後、おじいちゃんも料理を始めたらとても素人ではない包丁さばきに驚かされた私。おじいちゃんは合唱コンク-ルに仲間ときていましたが、私のようにグループ全員分の食事を作り皆と一緒に食べていました。イタリア音楽が大好きな私は、ユースのスタッフである部屋をシェアしていた友人に頼み、イタリア音楽をバーでかけてもらい皆さんと一緒に大合唱。気さくなおじいちゃんにとても気に入られ、息子さんの写真を見せられ、「息子は独身なんだけど、良かったら息子の嫁になってくれないか?またレストランで働かないか?」と誘われました。何と、このおじいちゃんイタリア料理界で何年も連続息子さんと一緒に料理チャンピオンに輝く腕の持ち主。世界中に何軒もレストランを持っていて、デルピエロをはじめイタリアサッカ-界だけでなく世界中の著名人をお客様、友人にもつ大富豪でした。おじいちゃんいわく、「小さな頃は貧乏で、早くから働き始めて苦労して今の地位を築いた。もし今までの苦労を忘れたら、そこで自分は後退してしまう。たくさんの友人たちに囲まれて、彼らのために食事を作るのが一番楽しい。人を思いやる心が、美味しい料理を作るコツ。」だと言っていました。だから私とは大変気が合い、私も食事に招待してくれました。娘の父親に出遭う前だったので、おじいちゃんの申し出を受けていれば今頃大金持ちになっていたかもしれません。いつか機会があったら、おじいちゃんの下で働かせていただけないかなと思います。

皆さんも是非たくさんの旅行客と直接語り合い、素敵なお友達をたくさん作りませんか?

 

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