Wasserturm

ベルリンの歴史を見守る「ヴァッサートゥルム」 [ ドイツ ]

 

Wasserturm

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「ふとっちょヘルマン」

私の自宅のすぐそばに、一風変わった佇まいの建物がある。「ふとっちょヘルマン」というあだ名を持つその建物は、建築設計を生業とする私から見てもユニークな円筒形をしている。毎日そこを通っていると、だんだんと人っぽく見えてきて、三角の屋根はまるで彼が帽子をかぶっているかのように見えてくるから不思議だ。

 

ベルリン最古の貯水塔

歴史を紐解くと、ベルリン市内に十分な水を供給するため、1956年にこの場所には貯水池として整備され、スリムな体型の給水塔が建てられた。そして施設拡張のため1877年に完成したこの「ふとっちょヘルマン」が建設された。歴史の教科書によると、18世紀半ばから19世紀にかけて起こった産業革命期の同時代に、ヨーロッパ各地で多数の給水塔が作られていたようだ。

この「ふとっちょヘルマン」の特徴は、貯水槽だけでなくここで働く機械工の為の住居が併設されていたことだ。そして1952年まで、75年間操業された。なぜここにベルリン最古の貯水施設が建設されたのかは、その地形条件によると考えられる。この地域はプレンツラウアー・ベルクと呼ばれるエリアなのだが、ベルク(Berg)はドイツ語で山という意味である。日本人の私には贔屓目に見ても小高い丘にしか見えないが、周囲の地域より高くなっており給水圧力を確保するには適していたのだろう。隣にあるこのエリアの地域博物館の入り口には、当時の様子がよくわかる絵が飾られている。

1856年頃の様子を描いた絵画

1856年頃の様子を描いた絵画

 

時代に翻弄されながらも生き続ける建物

この貯水塔は地区の紋章にも長らく描かれていた程、地域のシンボルとして、愛されている。ちなみにドイツ語で紋章はヴァッペン(Wappen)といい、日本語のワッペンの由来となっているようだ。しかしこの給水塔は、ただ美しい街のシンボルであったというだけではない。

1930年代のナチス時代には、共産主義者や社会主義者、ユダヤ人達に対する拷問所として使われていたという暗い過去を持つのだ。ベルリン最古の給水塔であるだけでなく、その罪を忘れないために、1981年にこの敷地全体が保存施設に指定された。

そしてなんと驚くことには、機械工の為の住居だった部分が、現在もアパートとして使われているのだ。さらにその人気は非常に高いのだという。日本ではあまりイメージしにくいが、ドイツでは文化的な保存建築物も、現在でも普通に住居とされていたり、その他の用途で現役で活用されていたりする場合が多い。保存されているからといって剥製のようにピカピカにとっておかれるわけではなく、あくまでも建物として利用するという発想のようだ。そんな過去を想い浮かべながらこのタワーを見ていると、また違った風にも見えてくる。

 

旧東ベルリン復興の証

実際、このプレンツラウアー・ベルクという地域は、今でこそ美しい建物が並ぶ閑静なエリアであるが、東西ベルリンが分裂していた時代は、戦火を免れた古い建物も、維持・修繕が進まず、朽ち果てかけた建物の多くが空き家となっていた。しかし1989年に東西ベルリンを隔てていた壁が崩壊した後、その空き家に若いアーティスト達が住み着き独自の文化を作っていったのだ。今でも、美しい建物の隣に驚く程傷んだ建物を時折目にし、当時の面影を感じることができる。

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1990年からこの貯水塔も改修が行われ、再び居住できる状態となり、緑地には2万本のバラが植えられ、敷地北側には美しい花々が咲き誇る花壇が建設当時と同じデザインに再生された。さらに2005年、「ワインガーデン・ベルリン」という市民団体が50本の葡萄の木を植え、そこではスパークワインが楽しめるようになった。

今このヴァッサートゥルムの周りで見られる美しい街並み、素敵なカフェやショップ、個性的な蚤の市などは、旧東ベルリン復興の証であり、その後の街の変貌の上に成り立っているのだ。そして現在もこの「ふとっちょヘルマン」は、小脇に子ども達が集う公園を携えて、プレンツラウアーベルクの人々の生活を見守っている。

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