“ピクチャー”は国境を越える — 言葉の通じない場所でのコミュニケーション術
外国へ旅行にいったり、滞在したりするには、もちろんその土地の言葉を話すことができれば一番です。しかし、現地の人々と自由に会話できるほど上達させるのは、簡単なことではありません。
海外の観光地や大きな街で英語を話す人は、日本に比べてもとても多く、多少操れれば、必要な用事はこと足ります。しかし辺境地にゆく場合など、もちろん英語や日本語の達者なガイドや友人といくことになりますが、全て通訳任せでは、人々と仲良くなることはできません。通訳を通したとしても、文化が大きく違えば、会話自体、どんな話しをして良いのかさえ困ります。
しかしせっかくですので、少しでも現地の人々や、子供達とコミュニケーションをはかりたいものです。
私は外国でもどこでも、外出する時は、必ず大きめのポシェットをベルトにつけ、財布、ボールペン、手帳、コンパクトカメラを入れて持ち歩いています。そしてこれらが旅の秘密兵器になります。
先日、カンボジアの友人の家に招かれました。彼は日本語ガイドと、兼業で農業を営んでいます。招かれた家は、木造高床式で、屋根は干したバナナの葉で葺かれた、伝統住居。家族は奥さんと、お子さん2人。友人は日本語が達者なのですが、子供たちは簡単な英語すら解しません。
せっかくなので交流をはかりたいものです。そんなときは、手帳とボールペンの出動です。簡単な絵を描いて、子供たちに見せます。子供たちの知っていそうな動物がよいでしょう。そうすると、牛を描けば「コウ!」ヤモリを描けば「ドッカイ!」などと、現地語での呼び名を教えてくれ、勉強にもなります。
手帳をちぎって、ボールペンを渡し、子供にも絵を描かせます。何を描いたらよいかわからない子供には、人や花、動物などのお手本を示せば、まねをして描き始めます。中には独創的な才能をもった子もいて、短時間で大作を完成させたり、驚かされることもあります。
この方法は子供だけに限らず、大人にも有効です。少しでも、現地の人とコミュニケーションをはかりたいときは、紙とペンのご用意を。絵を描くことが苦手な方は、多少練習が必要かもしれません。
見知らぬ土地にいった場合、たとえば、一人で宿から駅にゆきたいとします。
道がわからず通行人に訊ねるわけですが、彼らが英語のTrainまたはStationという言葉を理解できない場合、2つ理由があるわけです。一つは、英語のTrain またはStationという英単語を知らない。知っていても、こちらの発音が聞き取れない。
そんなときは手帳に“Train”と書いて、再度発音してみます。これでもわからなければ、簡単な鉄道の絵を描いて見せます。絵といっても、車輪にあたる丸をいくつか描いて、その上に長方形を乗せ、窓を描き、それを鉄道という意味の二本の線の上に乗せます。窓の中に人らしいものがあればベターでしょう。うまくいけばこちらの意図が通じ、方向を教えてくれたり、タクシーを呼び止めたりしてくれます。
私は撮影旅行好きが高じて、外国での生活を選んだようなものです。これが唯一最大の趣味といえます。共通の趣味があれば、どこでも友達をつくることは簡単です。私の住むカンボジアでも、友人達とカメラを持ちだして、郊外へ風景や人々の撮影にゆくことがあります。
アジアのどこでも、カメラや撮影好きな人は多く、特に経済発展の著しいタイは、日本よりも“カメラ大国”と呼んで差し支えないと思います。バンコクの街中でも、やたらカメラを持った若者がうろついています。
絶大な人気を誇る王様が、カメラ好きなのも理由の一つかとおもいます。街中に掲げられた王様のポートレイトや肖像に、Canon製のカメラを持った王様をみることができます。
私のバンコクの友人も、やはりカメラ好きで、二人でタイランド湾などへ撮影にゆきました。英語が共通語なのですが、正直なところ、生まれた国も育ってきた環境も違うため、話しはあいません。しかし撮影は、複雑な会話を必要としません。ただ “良い風景や、シチュエーションを探して、より良い写真を撮影する”ということが目的だからです。
スポーツと同じような感じですが、競技場=撮影場所は、いたるところにあります。
目で見て情報を確認するというのは、全世界、人間同士共通の手段です。絵や写真は、コミュニケーション手段としてとても有効です。
1日のうちに、数百万枚といわれる画像がシェアされる現代。漢字の“月”や“日”のように、現代における象形文字といえるかもしれません。
大きなカメラでも小さなカメラでも、外国への旅行や長期滞在には持ってゆくとおもいますので、ぜひお試しください。