海外旅行 メキシコ プエブラ 歴史 天使の街

【海外旅行アドバイス】“天使の街”、プエブラの歴史【メキシコ】

皆さんはプエブラという街をご存知だろうか。おそらくほとんどの日本人は名前を聞いても、メキシコ第四の街、メキシコの古都、歴史地区がユネスコ世界遺産に登録されるほど美しい、とイメージ出来る人は少ないのではないだろうか。そこで、今回の記事ではプエブラのヒストリーや成り立ちに触れながら、通称“天使の街”とプエブラ市民に親しまれるこの街を読者のみなさんに紹介しよう。

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プエブラの歴史はよくインターネットなどで、“歴史上有名なスペイン侵略の10年後1531年に建造された街でメキシコシティと港町ベラクルスとを繋ぐ中継地点として栄えた”、と説明されている。しかし、ではなぜプエブラが古都とよばれるのか。

それはスペイン侵略軍がアステカ帝国(現メキシコ)侵攻後初めて建造した街だからある。
当時アステカ帝国首都であったメキシコシティから適度の距離を保ち、かつスペイン本国からの利便性に優れた港町ベラクルスからも距離が近いという地政学的価値に優れていたこの土地を、スペインは重要拠点として選んだのである。

筆者が歴史地区を最初に訪れた時の感想は、「ヨーロッパの街がプエブラにある!」であった。ヨーロッパでよく見られる町並み、道沿いにずらりと並ぶ縦長の建物、その間を奇麗な碁盤の目のように縫う道々、所々に点在するカトリック教会などは一見の価値ありである。16世紀のスペインの町並みがプエブラには色濃く残っているのである。

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また、プエブラには面白い由来がある。天使がこの街を作ったというのだ。
スペインがメキシコに侵攻した際、最初にこの地に建造したものがカテドラル教会であったと言われている。以下の写真がカテドラル教会である。

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メキシコ一高いと称される双塔にたくさんの鐘が設置されているのが写真で確認出来るだろうか。建造当時、建築家の間で8トンもするこれらの鐘をどのように吊るそうかというのが大きな問題となった。しかしとある朝、建築家が荘厳な響きを轟かせる鐘の音に飛び起き、建築途中のカテドラルを確認してみたところ、なんと写真のように吊るされていたのだ。それを見た人々が「この鐘は天使が吊るした」、また「プエブラの美しい碁盤の目のような町並みも天使が導いた」と噂するようになり、それがプエブラを代表する由来となったのだ。
この美しいストーリーが基で、カテドラル教会は結婚式や映像現場に良く選ばれるほど有名な場所となった。筆者もとあるドラマの撮影現場に遭遇したことがあるくらいである。

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また、プエブラ州にはチョルーラという有名な街がある。プエブラ市内から30分ほど車でいったところにある美しい街だ。チョルーラは紀元前から栄えた街とされ、アステカ帝国第二の街としても有名な街であった。
この街で有名な場所と言えば、ピラミッドである。有名なテオティワカンなどとは違い、特徴としてピラミッドの上にカトリック教会が建立されている。

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なぜか。それは、全市民にアステカ文明を支配したことを誇示したかったコルテス(スペイン侵略者)が、アステカ文化の象徴であるプラミッドの天辺にカトリック教会を建立することで、チョルーラは神の信徒たるスペイン、牽いてはカトリック教が征服したことを視覚的に証明するためにこれを実行したと言われている。
このアステカ原住民にとって悲惨なヒストリーは、幸か不幸か、現代ではユネスコ世界遺産に登録されるほど有名な観光地となったおかげで、今はあまり日の目を見ない実話となっているのである。
以上、プエブラという街の歴史をプエブラ発祥期に重点をあてて説明してきた。プエブラ、天使が作ったとされるこの美しい街に一度あなたが訪れれば、必ず神秘的な体験をすることだろう。

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